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2 北極ヒステリーとクル病
2.1 文化拘束症候群の紹介
2.2 北極ヒステリーの「解明」
2.3 クル
2.4 ラタは自然か?
3 心身一元論から還元主義を排除する方法
3.1 戦略
3.2 トークンとタイプ
3.3 依存しない関係
3.4 依存
3.5 架橋法則
3.6 依存するが還元されない関係
3.7 心身問題
3.8 ラタ
4 個人症候群は存在するか?
4.1 普遍 vs 文化 vs 個人(拘束)症候群
・・・・・ 【文化拘束症候群の歴史・その他の概観】 ・・・・・
文化拘束症候群として、 ヤップとキエフによってあげられたものを以下に表にして示す。
| 病名 | 地域(民族) | 状態像 | Yapの分類 | Kievの分類 |
|---|---|---|---|---|
| ラター (latah) | マレー半島 | 驚きを引き起こすような刺激に対す る過剰な反応 | I | C |
| アモク (amok) | マレー半島 | 過度の経済的圧迫・他者の期待への重圧 感を背景にした興奮状態、逆上して殺人を犯す | II | F |
| イム (imu) | 北海道 アイヌ | 驚きを引き起こすような刺激に対す る過剰な反応 | I | C |
| コロー (koro) | 中国 東南アジア | 陰茎の萎縮への恐怖に由来する 不安状態 | I | A |
| スストー (susuto) | ラテン・アメリカ諸国 | 霊魂の喪失によって起 きる抑うつ的不安状態 | I | A |
| ウィンディゴ (windigo) | 北米オブジワインディアン | 凍てついた 森の中で長時間単独で狩猟中、無収穫の男がなると言われる食人強迫 | I | E |
| ヴードゥー死 (voodoo death) | アフリカ ポリネシア オース トラリア | タブーを犯したとき、呪いをかけられたときの死への恐怖から起きる 神経衰弱状態 | I | D |
| ピブロトク (pibloktoq) | シベリア グリーンランド エスキモー | 急激な興奮状態となり暴力的行為や模倣行為をする 冬期に多い | I | F |
Yapの分類
I:恐怖反応、II:憤怒反応、III:精神混濁状態に基づく反応
Kievの分類
A:不安状態、B:強迫神経症、C:ヒステリー障害、D:恐怖状態、
E:抑うつ反応、F:解離状態
[yap-classification] [kiev-transcultural] [kiev-transcultural-j]
2.2.1 概論
その他にも、極地ヒステリーとして知られるいくつかの現象がある。 たとえば、 コリャック (Koryak) における「ムルヤック」meryakと呼ばれる症状、 ユラギール (Yuraghir) の「イルククンジ」 irkuknji、 ツングースの「オロン」 olon, シベリアの「ムライチット」 miraychitなどをあげることができる。
「極地ヒステリー」としてあがることの多い アイヌのイム imu は次のような物語をもって語られる 病気である。・・・・・ 【未完成】 ・・・・・
2.2.2 ワレス、フォークス、ランディ
極地ヒステリーの生物学的探求は進んでいる。 イヌイットの間でも、 ピブロックトック pibloktoq は 精神病としてではなく、 身体の病いと考えられていたという。
厳しい生活環境による栄養欠乏は、 研究の最初のころから強調されてきた。
ワレスは、さらに、低カルシウム血症によるテタニーが 筋のけいれん、けいれん性発作、精神錯乱を引き起こすと考えた。 「具体的には、食事のカルシウム源不足とともに、 冬期の紫外線量の低下がビタミンD合成を阻害し、 カルシウムレベルの維持を困難にしているとした」 [yoshimura-sasaki-CBS: 159]
フォウクスは10の症例を 栄養学的・血清学的検証を行った。 食事記録では、カルシウム摂取量は必要量を下回っているにも関わらず、 血清中のカルシウムレベルは正常で、冬季の減少もなかったという。 [foulks-hysterias]
フォークス自身の議論は 片寄った明暗サイクルによる人間の24時間リズムの影響を 強調するものである。 じっさい、冬季に、丹生中のカルシウム排泄が以上に多くなるという。 かくして、カルシウムのレベルを維持できない個体が 極地ヒステリーを経験するのだという。
ランディはイヌイットの栄養源である 動物の肝臓、脂肪に焦点を与えた。 冬季にはとくに、これらの食物にビタミンAが高い濃度で 含まれており、 この過剰のビタミンAが極地ヒステリーの原因と彼は考えている。
クルは、・・・・・ 【ニューギニア、ノーベル賞】 ・・・・・
ソンタグは『隠喩としての病い』 [sontag-yamai]の結論部で、 「私は裸の癌を経験したい」と書いている。
木村(敏)は、『分裂病の現象学』の中でつぎのように書いている── 「精神病の身体的原因が発見されたということは、 はたして精神病が身体の疾患であるということと同義であろうか」 彼によれば、絶海の孤島では、身体を病むことはあるが、 精神を病むことはない、というのだ。 もし絶海の孤島で、中毒症状をおこす植物をたべても、 それによって精神病を病むことは無いという── 彼女は単に身体レベルで中毒をおこしただけだ、というのだ。
もし、精神病の身体的原因が発見されれば、 そして、その原因を取り除く方法がわかれば、 すくなくとも精神病は治療されるであろうことには、 木村も賛成だろう。
いいたいことはふたつある: (1)精神病は共同体のなかでしか起こりえない、 (2)精神病を物理的手段でなおすことは可能である。 この両立しえないようなふたつのポイントを両立させるような そのような立場を探していくのが、 この講義の残りの部分でおこなっていく仕事である。
われわれは、古典的な心身二元論をめぐる議論の渦中に入るわけである。 簡単に、われわれの目指す立場がどのようなものになるのかを、 心身二元論をめぐる構図の中に位置づけよう。
| 法則がある | 法則がない | |
| 二つの出来事はない | A | B |
| 二つの出来事がある | C | D |
Aがカルナップの還元主義の立場、 Cが機能主義、 Dがデカルトの心身二元論、 そして、Bが目指す立場である。
Dのデカルトの立場と Aのカルナップの立場は分かりやすいだろう。
Aが主張するのは、 「世の中には、物的出来事しか存在しない。 心的な出来事として記述されるものは、 すべて物的出来事に (もらすことなく)再記述が可能である」という立場である。
Dは・・・・・ 【未完成】 ・・・・・
Cが主張するのは、 「世の中には、物的出来事だけでなく、 心的出来事も存在する。 しかし、心的出来事は物的出来事に法則論的に還元される」というものである。 心身随伴説と呼ぶことができる。
Bが主張するのは、 「心的出来事と物的出来事という二種類の出来事があるのではない。 あるのは、物的出来事のみである。 しかし、心的記述を物的記述になおす法則は存在しない」、というものである。
ここからの話はややこしくなるので、 先に答えと、その答えに至る戦略を述べておこう。
われわれが「還元」とか「決定」という言葉で考えている 領域同士の関係の仕方を、より精密に考えていこう、というのが、 戦略である。
もし、P の領域(たとえば化学の領域)が Q の領域(たとえば物理の領域)に還元されるならば、 物理の領域の述語群が化学の領域の述語群を決定する。 ここまでは常識的な考え方だ。 ひねりは、つぎのようになる── たとえ Q が P を決定しても、 P が Q には還元されない、という関係の仕方を想定するのである。 それを依存 (supervenience) という。 すなわち、P が Q に還元されれば P は Q に依存するのだが、 P が Q に依存しているからといって、 P が Q に還元されるわけではない、と言えるような関係、 「依存」を論理的可能性として考える── それがこのあと展開される議論である。 そのような関係、「依存」の存在が説得的に示されれば、 心身の関係をその関係に措定することによって、 Bの立場が理解されるだろう── すなわち、「心は身によって決定されている、 しかし、心は身に還元されるわけではない」、 「依存」の一つの例として心身問題を片付けるのだ。
まずトークンとタイプという概念を導入しよう。 ・・・・・ 【「のびたのくせに生意気だ」】 ・・・・・
ここで、トークンがあるタイプに属するという 言明をいくつか考えてみよう。 「あるトークンは、あるタイプに属する」という言明である。
あたりまえのことの確認だが、 トークンが同一だからと言って、タイプが同一とは限らないことを 言っておく。 --- a が p (ネクタイ)であり、 同時に a が q (プレゼント)であっても、 すべて ネクタイであるもの (p であるものが) プレゼントである (q である)わけでも、 すべての q であるものが p であるわけではないのだ。
このようなさまざまなタイプ言明を今から調べていく。 世の中には、いろいろなタイプが存在することは明らかだ。 これからの議論で特権的な位置を占めるタイプは、 物理領域に属するタイプ述語群である。 問題にするタイプが物理述語群とどのように関係するか、 それを考えていきたい。
あるトークン a が「プレゼントである」という タイプに属するとする。 もちろん、このトークン a を物理述語群で (すなわち、重さ、長さ、色その他を用いて)再記述することができる。 もし、もうひとつのトークン b (ネクタイ)があって、 a と b が物理述語群をいかに詳細に使用しても区別できないとしよう。 その場合でも、a はプレゼントであり、 b はプレゼントではない、という言い方は可能である。 あるいは「a と b は他のすべての点において同じであるが、 a はプレゼントであり、b はプレゼントでない」という 言い方には意味がある。
あるトークン a (絵画)が「私が所有しているモノ」という タイプに属するとしよう。 もちろん、このトークン a を物理述語群で (すなわち、重さ、長さ、色その他を用いて)再記述することができる。 もし、もうひとつのトークン b (絵画)があって、 a と b が物理述語群をいかに詳細に使用しても区別できないと 考えよう。 そのような場合でも、 「a は私のモノだが、b は私のモノではない」という言い方は可能である。 あるいは、同じことだが、 「a と b は他のすべての点において同じであるが、 a は私のモノであり、b は私のモノでない」という言い方は意味がある。
ところが、 「a と b は他のすべての点において同じであるが、 a は美しく、b は美しくない」という言い方は意味をなさない。 もし、a と b が物理的に区別できないのであれば、 a が美しければ、b も美しいはずなのだ。 物理領域は「美しい」を決定している。 あるものが美しいか美しくないかは、物理的に決定されているのである。
おなじように、 「a と b は他のすべての点において同じであるが、 a はネクタイであり、 b はネクタイでない」という言い方は意味をなさない。 ・・・・・ 【ほんとうかな?】 ・・・・・ a がネクタイであれば、b もネクタイであるのだ。 物理領域は「ネクタイである」ことを決定している。
この後者の例をスーパーヴィーニエンス(依存)と呼ぶ。 具体的に言えば、 「美しいという述語は物理述語に依存している」というのだ。 もちろん、 「私が所有している」という述語は物理述語に依存してはいない。
次に、日常物理と物理学の領域を考えてみよう。 P は日常物理の領域をカバーし、 Q は物理学の領域をカバーしているとする。 ある物体 a と b が 物理学の領域(Q)の述語 (q) を使って区別できないときには、かならず、 日常物理 (P) の述語(p)を使って区別することはできない。 ある物体 a と b がその構成する分子の運動において区別できないならば、 a と b は「熱さ」において区別できない。 日常物理の領域は、物理学の領域に依存 (supervene) しているという。
日常物理と物理は、たんに依存関係にあるだけではない。 もし、a が 「熱をもっており」(p)、 同時に a が 「その構成する分子が運動している」(q)とき、 すべての 「熱を持っているもの」 (p)であるものは、 「構成する分子が運動している」(q)ことになり、 また、すべての Q であるものは、 P である。 すなわち、P の領域は、 ある種の書き換え法則をもって、 Q の領域の述語群で過不足無く書き換えることが可能なのだ。 ただし、Q の領域の述語を P の領域の述語群で 過不足無く書き換えることはできない。 分子運動の微妙な違いが、 日常物理(「熱さ」)で区別されないことは十分考えられる。 このように、依存するだけでなく、さらに書き換え法則をも 持つことが、 じつはわれわれが「還元」という言葉で考えている状況なのである。 すなわち、「日常物理は物理学に還元されうる」ということを、 上記の議論は述べていたのだ。
おなじように、化学の領域 (P) と物理の領域 (Q) とを考えてみよう。
ふたつの物体 a と b とが物理的に区別できないならば、 それは化学的に区別できない。 しかし、化学的に区別できなくとも、物理的に区別できるかも知れない。 すなわち、化学の領域は物理の領域に依存 (supervene) しているのである。
さらに、a が p である(原子価が2である)と同時に、 a が q である(正に帯電した電子を持つ)とき すべての p であるものは、q であるし、 すべての q であるものは、p である。
・・・・・ 【コンパイラー、トランスレーター】 ・・・・・
x = 3; y = 5; x := x + y;
ここで、もう一度、 「美しい」あるいは「ネクタイである」述語を考えてみよう。 これらは、物理述語領域に依存している述語の例であった。 「美しい」が物理述語に依存しているからといって、 「美しい」は物理述語に還元できるか、 あるいは「ネクタイである」が物理述語に依存しているからといって、 「ネクタイである」は物理述語の還元できるのか、 という問題を考えてみよう、というのだ。
「ネクタイである」ことはたしかに物理述語に依存している── すなわち、a と b が物理的に区別できなければ、 a がネクタイであり、b がネクタイでないという可能性は存在しない。 しかし、 「ネクタイである」ことを 物理述語で過不足無くあらわす書き換え法則というのは考えられないであろう。 すなわち、 「ネクタイである」ことは、物理領域に依存していながら、 物理領域に還元されることはないのだ。
同じように、 a と b が物理的に区別できなければ a が美しく、b が美しくないということはいえないながら、 美しさを物理的に過不足無く再記述できる書き換え法則はない。 美しさは物理領域に依存しながら、還元はされないのだ。
ここまでくれば、あとは蛇足だろう。 心的な述語、たとえば「悲しい」、は物理領域に依存しているが、 それに還元されるわけではない、というBの立場が見えてくるはずだ。 a と b が神経組織の記述において区別できなければ、 もし a が「悲しい」という心的状態にあるならば、 b も「悲しい」という心的状態になければならない。 しかし、そのことは、 「悲しい」を過不足無く再記述できるような神経状態のタイプがあることを 意味しているわけではないのだ。 e が M (「p を信じている」)であると同時に、 e が P (「シナプスの特殊な結合」)であったからといって、 すべての M である出来事が P であるわけではなく、 また、すべての P である出来事が M であることを 保証されているわけではないのだ。
私は、この可能性さえ示せれば、 心身の問題についての議論は十分だと思う。 これまでの議論は、心が身体(神経状態)に還元されるという 可能性を否定してはいない。 心が身体に還元されるのか、 それとも単に心は身体に依存しているだけなのか、という 問題が残っている。 この節の議論は、決定されながらも、還元されないという 理論的な可能性を示しただけなのだ。 はたして還元されるのか、しないのか、は 経験論的探索を必要とする問題であろう。 しばらくは、その答えを待つこと無く、 それぞれの可能性に賭けて、議論を展開することが 可能になったということで十分だと思う。
なお、この議論の□□であるデイヴィドソンは 次のように、「還元」の考えにくさについて議論を展開している。 ・・・・・ 【規範性、全体性】 ・・・・・
前項の議論を、 ラタ、あるいは神経症あるいは精神病に関して言い換えれば次のようになる── a と b が神経状態において同じであれば、 a がラタであれば、かならす b もラタである。 ラタは神経状態によって決定されている── しかし、ラタであるような神経状態のタイプは存在しない (可能性がある)。 そして、われわれは、 ラタが物理領域に還元されない方に賭けて議論を進める権利をもっているのだ。
前の講義で述べたクラインマンの二番目の言い方を使えば、 患者の属する文化のなかの患者の経験は、 医者共同体のなかでの医者の経験に決定されているが、 還元はされないのだ。 もしわれわれが患者の理解を第一の目標とするならば、 医師の文化のなかでの物理述語のタイプを 無視していい権利をもっているのである。
還元を否定した立場からは、 われわれは安心して、 ラタを文化のなかで議論することができる。
最後に、中井のおもしろい提案をとりあげてみたい。
「わたしはここで、 「普遍症候群」と「文化依存症候群」の他に「パーソナルな病い」、 すなわち「個人症候群」をあえて樹てようと思う。 ・・・・・
したがって三つの「症候群」は、 それぞれ一つの相(見方)であるともいえる。 同一症状を、どの相から見てもある程度は記述できるというわけだ。 しかし、また、いずれによっても完全には記述できない。」 [nakai-chiryo: 2]
中井は、これをアスペクトととらえる。 この捉え方は正しい── 物理述語で記述するのが普遍症候群であり、 同じものを心理述語で記述するのが文化症候群であるからだ。 問題は、 「個人症候群」というアスペクトは存在するのか、ということだ。 このようなアスペクトを考えるのは、 文化を前提しない生のアスペクトを考えるのと同じである。 物理述語も、われわれは、化学者共同体の文化に預けたのであり、 決して生のアスペクトではない。 ・・・・・ 【未完成】 ・・・・・
アスペクトは(ゲーム)共同体の中にしかありえないはずである。 ・・・・・ 【未完成】 ・・・・・
すなわち、個人症候群というアスペクトは 考えることが不可能なのだ。 ・・・・・ 【未完成】 ・・・・・
なにが切り捨てられたのか・・・・・ 【未完成】 ・・・・・